後継は世襲よりも実力主義
「のれんに傷が付く」という言葉があるように、のれんは商家にとって、”信用や格式を表すもの”です。
「のれん分け」とは、その大切なのれんを奉公人や家人に分け与える。
つまり独立させることをいいます。
同じ屋号で商売を営むことで、のれんが持つ信用や格式も受け継ぐことになるのです。
昔は、丁稚奉公といってそのお店の従業員になるとき、住み込みで働くというのが一般的でした。
当然住み込みで働くわけですから、従業員にほとんど自由はなく 休日は月2回あれば良い方だったといわれています。
そうしてその中で、技術や商才を磨き、丁稚→手代→番頭と出世していくことで、 ようやく「のれん分け」へとこぎつけるわけです。その際のれん代(資本金)も与えられたといわれます。
江戸時代の事業継承は必ずしも世襲ではありませんでした。
何よりも”のれん”を重んじる商家でのこと。
たとえ一人息子とはいえ、商才のない人に家業を任せるわけにはいかなかったからです。
だからこそ、決して家業が傾くことのないように、有能な番頭や奉公人を育ててきたのです。
たとえ正当な後継者がいたとしても、その技術や理念を守るために有能な養子を迎えることは むしろ一般的なことでした。
つまり血縁よりも能力や技術を重視したのです。 物づくり大国日本は、こういった環境だからこそ生まれたと言っても過言ではないのかもしれません。